40歳を超えた人の責任論:その行動は正しかったのか!非難されるべきなのか!

かの地で拘束され、行われた非情な出来事には犠牲になられた方と同じ国民として耐え難い憤りを感じる。

それ以前に何故人間は争いと言う愚かな歴史を繰り返すのだろうか、神がいるのであれば何故人間は歴史に学ぶ知的な生きものではなく、どうしようもない本能を人に与えたのだろう。善・悪・思想・宗教以前に人間の性に恐れを抱く

責任論

勿論残虐な行為を行う人達を許す事は出来ない、一方で危険地域に自ら踏み込んだ自己責任論もある、個人レベルの問題ではなく身代金要求と言う国家を巻き込んだ結果から多くの非難も聴こえてくる。

では、ワクチンや解毒薬のないウィルスが蔓延している地域に飛び込み医療活動を行う人達の行動はどうだろう、人道的支援との違いもあるだろうし出来うるだけの万全を期しての活動だろうが、残虐な統治に苦しむ人たちや、その実態をレポートすることで苦しむ人達を救おうとする目的であれば同じくコントロールの効かない地に身を投じる訳である。

責任ある行動とは一体なんだろう?

良い、悪いを論じるつもりはないが今回犠牲になられたであろう二人は共に40歳を超えた人生経験のある人達だ、物事の分別が年齢で決まる訳ではないだろうが人にはそれぞ生き方があると思う

40年以上続けた生き方、年齢を重ねるごとにそれを知る事が重要ではないかと思う。

40歳を超えた人に仲間に加わって貰う場合、今迄の生き方にお互いが何らかの共感を持てないと難しい、それはお互いにリスペクトし合える何かがあるかないかとも言える。なぜならば生き方はそう簡単に変える事ができないからだ、妥協と打算だけで繋がった場合早かれ遅かれその関係に亀裂が入る

自分を振り返ると自信はない、確固たる生き方があるのだろうか?あるとすればそれは胸を張れるものか否か?

人が変わると言う事は難しい、人を変える事は更に難しい

責任ある行動とはそういった事を知る事ではないかと思います。

 

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小野康成 温浴施設コンサルタント 温浴施設の持つポテンシャルを視座を変えて見つめ直すと実に多くのサービスを提供できます。それを必要としている人が地域には溢れています。17年間で複数の温浴施設・飲食店を立ち上げ現場指揮から得た経験から、施設と地域と人を繋ぐプロデユースを行なっています。