現実の恐怖は心に抱く恐怖ほど恐ろしくはない
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現実の恐怖は心に描く恐怖ほど恐ろしくはない
シェークスピアの言葉です。
目の前の恐怖というのは、なにがしかの原因というものがあってその恐怖の大きさというものが何となく計れます、つまり有限であるという事、然し心の中の恐怖は実測ができない、つまり計り知れないという事になる、そう捉えるとなるほどな・・と思います
先日の才能心理学でこんな事を教わりました
”怖いと感じるモノはその中心に近づくほどに恐怖感は薄れていくものです”
怖いと思う対象を遠くで眺めている、或いは心の中で感じているとドンドンとその怖さは増幅してゆきます
どんな現実でも、或いは人物でも一旦目の前にすれば何らかの原因を模索したり、同じ人間である事を認識したりと冷静になれるのは解る気がします、それはそこで感じる現実や人物に対する見方が”怖さ”からもっと具体的なリアルな対象として変わるからではないでしょうか?
本当に怖いのは自分自身
偉大な経営者を父親に持つ息子、影響力の強い父親に対して畏怖の念を抱き続けて来た彼はその恐れから遠ざかる為の生き方を選び、軍隊に入ります、そして除隊後に様々な葛藤の末父親の経営する企業に入りやがて人の心を掴む素晴らしい経営者になり世界を席巻する企業に拡大します。
然し今でも父親に対しては恐れを抱いているそうです、何か人生に引っかかりを感じると・・・
随分と前に読んだ伝記を思い出します確かIBMの2代目社長、トーマス・ワトソンjr「IBMの息子」
同じく机を並べて学ぶ仲間の体験談がこの話に凄く似ているなと感じる方がおられました
二人に共通する事はなにか?
”父親なるモノ”を遠ざけてきた人生で手にした今の人生、その中で今も抱いている恐れとは・・・
実はそれは自分自身かもしれません、遠ざけるうちに増幅してまった恐れ、然しそれは今や自分の中にある”父親なるモノ”を自分の中に感じる恐れなのかもしれないという事です
俺のは小せえな
昨日書いたブログ”隠そうとする心理”これは私の事ですね、重要な意見を上手く伝える事ができなかったり、かみさん内緒で買い物をしたり、実はこれも恐怖の一つです、断られたり、反対されたらどうしよう・・・・(;一_一)
勝手に想像して勝手に怯えて、なんか隠しちゃってそんでもってばれちゃう(T_T)
俺のは小さいですね、ええ!小物です・・・・
自分と向き合う事で恐怖は消える
自分の頭や心の中で増幅させ恐れそこには実体はありません、あるとすればそれは自分自身という事です。
ならば自分自身に向き合う事で恐れは減少していくのではないでしょうか
父親のようになりたくなかった自分、否定される事に傷ついてしまう自分、実体は自分です
恐怖はその中心に近づく程薄れていくわけですから、大切なのは自分を信じる事ですね
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