風呂屋の使命とは

大参事となった御岳山の噴火、命がけで救助に向かう自衛隊・レスキュー隊・警察機動隊の人達

職務とはいえ命がけで”心肺停止状態の”人達を救いに行く姿に心動かされます

医学的には遺体として確認されない限り”心肺が停止しているであろう人達”を使命によって自分たちの心肺を命を賭して救助に行く訳です・・・

このブログを書いてる前で元海上自衛官の社員が事務処理をしております。大木のような腕の先で無骨に大きな指がキーボードを叩いております。いつもはでかい身体でとぼけた行動をして、抜けることの無い鹿児島弁で意味不明の言い訳をするこの男の事が何だか急に愛おしく思えます(-_-;)・・・・・!

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何んでそんな事が出来るのか?

一方で、隣に座った客と席の取り合いで口論となり120キロの巨漢の漢が口論の相手を何度も踏みつけて殺してしまうという事件が報道されています

人を蹴り殺した後に平然とラーメン定食を注文して、最後の晩餐と言いながら警察が来るまでにその場で食べていたという報道・・・いったい人間って何なのでしょうか?

スーパー銭湯を運営していて思う事

お店には多くの人達が来店して当たり前の事ですが裸で入浴をされます

ベンツに乗って来店する人、自転車で来店する人、美男美女も居れば、笑顔が愛嬌のある人も居ます。うまく行っている人もいれば、むしゃくしゃするので気晴らしで来店される方もおられます

でも浴槽の中では皆平等です、みんな同じに見えます。

そこで仕事をしていて違いを感じるのは頭がいいとか悪いとか、体型がいいとか悪いとか、顏がいいとか悪いとかは全く解りません、見えないのです。

もう少し正確に言えば人はそれぞれだってことです、結局同じ人間でしかない

裸になった状態で違いを感じるのはただ一つ、その人から出てくる”品格”だけです

同じ浴室で裸になって集まる場所で人に対する”思いやりがある人”と”自我だけの人”究極はこの二つだけです

思いやりにあふれる公共の場が究極の願いです

袖すりあうも多生の縁と言う言葉がありますが、袖すらない裸の世界でその時間だけでも機嫌よく過ごせる空間でありたいと思います。

自我を振り回す無茶な人は排除できるような善良な場、擦りあう袖は無くとも思いやりにあふれた公共の場であると信じたいです

わざわざ他人が沢山集まる場所で無防備にも裸になる訳です。求めているモノの一つは人間同士のつながりや縁じゃないのかなと思います、それが、家風呂との最高の違いだと思うのです。

無事帰還された隊員の方たちが気の抜ける場所として、そしてもう一度この火山灰を振り払って湯船に浸かりたかっただろう方々の為にも、風呂屋として最高の場所を提供し続けなけらばならない・・・

これは風呂屋の使命です

お亡くなりになられた方のご冥福を心からお祈りいたします

応援してね!!

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小野康成 温浴施設コンサルタント 温浴施設の持つポテンシャルを視座を変えて見つめ直すと実に多くのサービスを提供できます。それを必要としている人が地域には溢れています。17年間で複数の温浴施設・飲食店を立ち上げ現場指揮から得た経験から、施設と地域と人を繋ぐプロデユースを行なっています。