私感:温浴運営者の刺青(いれずみ)問題
”お聞きしたいんですけど、タトゥーが入っているんですが入浴できますか?”
先程対応した会話はこの業界に入って何度となく受ける電話での問い合わせである
質問の内容が明確で、求めている回答もシンプルであり、回答に対しての理解も早いので先方との会話はスムーズである。
したがって電話の印象は悪くない、むしろ色んな問い合わせの電話を受ける中で礼儀正しさを感じる事が多いくらいだ
それだけに少し複雑な気持ちにもなる
目次
なぜ多くの温浴施設が刺青のある人の入浴を禁じているのか
運営者の経験から述べるとそれはやはり極道の刺青が威圧感があるからである
良い、悪いではない、そもそもそういった人達が刺青を入れる理由の一つがそこにある事は間違いではなく、市井の人達にとってそれを目の当たりにすることは十二分な効果を発揮する
浴室内には張りつめた空気が蔓延する、裸でくつろぐ人たちの多くはそこで日頃感じない違和感を感じる、それは緊張感となり、ストレスとなる
そういった空気感を作り出したくなく、それが生じた場合にはその空気感を取り除く努力の必要が我々にはあると言うのがその理由だ
TATOOと刺青の線引きは難しい
ならば、ファッション的なタトウーなら良いのかという議論が巻き起こるがその線引きをどうすれば良いのか?
個人的にはファッションタトウ―に全身和彫りの前者の刺青のような威圧感は感じないがこの感じ方の違いは個人的な価値観なので線引きをすることは極めて難しい
これが良くてあれはダメ・・・
説明のつけようがない
日本文化の刺青に対するイメージ
先日相模原で発生した悲惨な事件
犯人の特徴を報じるメデイアはその一つに、しかも大きな特徴の一つとして犯人の刺青の件をこれでもかという風に取り上げている
これがもし違う文化であれば一人の人間の特徴や背景としてこれ程刺青に関して報じるであろうか・・・
報道を聴く限り犯人はいわゆるアウトローではなかったようだ
だとすれば、あれはファッションだったのだろうか?
刺青がファッション化してハードルが低くなったのは事実
然し、依然この国においてそれが異質である事は報道のされ方からも間違いはない
自分を変える道具としてそれは安易な手段となってはならないのではないかと思う刺青あり
好きなアーテイストは全身刺青だけどね
タトウ―自体に罪はないが、弱い心を隠すためのカモフラージュであれば、この国に於いてその芸術は消すに消せない傷にもなるし、引くに引けない標になるのかもしれない
ハードルが低い現代だからこそ慎重になりたい
外国人観光客の増加により温浴業界では数年前からタトウ―入浴者の禁止の緩和を求める声が大きくなってきています
”お断り”をして来たからこそあえて感じる個人的な意見です
タトウ―に対するハードルが低くなったからこそ慎重にすべきだというのが持論です
温浴施設は多くの家族連れが利用されます
子供達は何の抵抗もなくタトゥーを受け入れる可能性があります、彼等の父親や母親もタトウーに対するハードル意識も以前よりは低いと推測できます
だからと言ってそれが文化的にこの国に根付くのかといえば疑問です
髪の毛を金髪にしても、生涯金髪の人はそう多くはない。
緑や赤い髪の毛も尖がった時期を過ぎれば元に戻す事はたやすい事です。
学生時代のパツキンの写真を懐かしむのとは訳が違。
刺青が無くても素敵だとおもいますよ
・とても礼儀正しい問い合わせの電話の主は子供ができて家族サービスに利用したい若いパパやママだったりします
・後輩たちにどれだけ誘われても仕事終わりの入浴は絶対に答えず、この仕事が好きだが正社員にだけはなれないと無念さをにじませた笑顔で去って行った皆から信頼のあった兄貴分のアルバイト君
・孫を連れて来た老人に昔は鳶の親方で極道ではないと懇願された事もあります
とても紳士的で感じの良い話かた、彼等の人生に於いて嘗ての決断がどれほどのものだったのか?
その決断は今も間違いはないと思っているにかどうかは推し量ることは僕にはできません
だから冒頭に述べたように会話の潔良さに違和感を感じるのです
正しいとか、正しくないではなくこの国の文化はそれを必要としてこなかった事は間違いないから慎重になるべきだ
一過性の観光客を対象にする施設とそうでない施設を一括りにすべきではなく、そのポリシーは運営によって変えるべき事だというのがぼくの私感です
最新記事 by おのやすなり (全て見る)
- 迷惑客を出禁にするのは施設の使命である - 2023年9月27日
- ビジネスを成功させるための“Save the Cat”の法則 - 2023年9月24日
- 西野亮廣に学ぶプロジェクトの役割と情報共有の必要性 - 2023年9月11日