バリアフリーとは「空飛ぶ車いす」
公共施設を運営する立場として恥ずかしい話なのですが今まで「バリアフリー」という言葉の意味を真剣に考えた事がない事に気づました。
勿論、運営の中でハンディキャップある方をお迎えしたり、建築の許認可の際は法律として言葉に直面もしますが、改めてその言葉の意味を考えると言葉自体に違和感があるのではないかと思えてきます。
「バリア」障壁を「フリー」無くすと言う意味です、前提として障壁が前にある訳です!
空飛ぶ車イス
木島英登バリアフリー研究所の木島英登氏、高校時代健常な状態から突然「両下肢完全麻痺」となり車イスを使った生活を送るようになります。大学進学、サラリーマン生活、留学等を経て今は独立をされていますが、その間に世界138か国を旅して多くの著書や講演をされています(木島英登バリアフリー研究所)
昨日はお話を聴く機会があり聴講して来ました、
重要な事は合理的配慮である
イロイロなお話やエピソードがありとてもここでは書ききれない程の内容です
バリバリのラガーマンが高校時代ラグビーの練習中に事故に逢います、多感で前途洋々な時代に一瞬にして両下肢完全麻痺です過酷な運命だと思います。
然し、最も戸惑い傷ついた事は自分の足で歩けないと事よりも廻りの自分を見る目が変わった事だそうです。
自分自身の中身は何も変わっていない、変わったのは自分を取り巻く廻りである事がとても辛かった、それ以来他人と競うのではなく自分らしさを大切にする事、土俵を変えていく決意をされたそうです。
誤解を恐れずに言えば、車いすでの生活も自分の個性であると腹を括られたのだと思います。
然し尚多くのバリアに直面をし続けて来られた、バリアをフリーにすることに心血を注いで来られた事だと思います。
バリアが先にある事が問題なのです、最初からバリアが無い事が理想です。
木島氏は言います「大切な事は排疎をしない」と言う事、合理的な配慮のある世界、我々にとっては「業務」と「善意」は分けて考えるべきだと・・・私はその言葉に「他人と競わない」と心に誓われた時の葛藤と凄味を感じます
早速自分自身のあり方を問われる経験をしました、講演の後開催された懇親会にご一緒したのですがその会場がエレベーターも無い雑居ビルの地下でした。
「なんでこんな配慮の無い会場を選ぶんだ」と密かに腹を立ている自分に気づきます、然し木島さんは少し”しょうがないあな”て笑みの後「はい、すみませーん、前二人、後ろ二人4人でお願いしまーす」と言われ急な階段を4名の人の腕に委ねて降りて行かれました。
その姿がとても自然で、自分の中のあの怒りはバリアだったのだろうか?自問自答をしてしまいました。
こう思います、そう思う自分の中にはバリアが確かに存在しますそしてそういった会場を選ばない事に気を配る事は合理的な配慮でしょう、然し全てが配慮の中で物事は進むわけはありません、そこで必要な事は善意であると・・
人間的エネルギーを感じました
懇親会では光栄にも隣に座ってお酒を酌み交わす事が出来ました。
当たり前の事ですが138か国を旅する人です、エネルギーの塊なのは当然な筈ですがこれまた偏見かもしれませんが勝手に「ハンデーを乗り越えた聖人」かと思いきや「好奇心旺盛で人間臭い」人でした(*^。^*)、そこがとても面白い。
自分をさらけ出すことが無ければ前には進めない、好奇心を持てば行動する、15分後には「車いす」と言うキーワードは吹っ飛んで人間的なエネルギーに魅了されました
大切なのは人間力、大きな刺激を頂きました。
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