答えの理由は「作話」してはならない

先日読み返していた本に書かれていた事です

答えをもっていない人は答えを持っていないので、答えを求めても出てこない。

無理に答えを求めると、「作話」を始める、答えの為の答えを創作してしまうのだ。

そして、無理やり出した答えがいつの間にか独立をしてしまい、想ってもいない方向に思考が動き出すのである。

結果的に良い場合もある、然し多くの「作話」は「答え」がでないことへの「いい訳」や「弁明」であることからネガテイヴな思考が多い、つまり問題解決から遠のくのである。

「コーチング」と「テイーチング」

コーチングとは教える事ではない、極論に言えばアドバイスをしてもならない、行って良いのは”質問”だけだ

答えは自分自身の中にある、その答えを良質な質問に拠って気付かせるのがコーチの仕事である

ならば、自分の中に答えを持たない人にはどうすれば良いのか、

どんな、名コーチを付けたところで答えは出てこない。

答えの無い人に必要なのはテーチング、即ち教える事である。

正しい答えが出てくるように自分の頭で行動できるように導くのである。

重要な事は出た答えに正解はないという事だ

導かれ出した答えであっても、それに対する反発であっても、答えを自分で持てるようになる事がそのこと自体が一つの大切な解答である。

「答えは」は出たが、それは必ずしも「結論」ではない

昨日大阪はある決断を行った

維新も反対派も答えを持つ人に正しくコーチングできた結果だろうか?

維新も反対派も答えを持たない人に正しくテーチングできた結果だろうか?

兎も角、問いかけに対する「答え」は出た

但し、正解は一つではない、「作話」ではなく、今後も自分達の頭で考え答えが出せる政治を行って欲しい

でなければ、問題提起力のある政治家を失う代償はあまりにも大きいような気がする

 

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小野康成 温浴施設コンサルタント 温浴施設の持つポテンシャルを視座を変えて見つめ直すと実に多くのサービスを提供できます。それを必要としている人が地域には溢れています。17年間で複数の温浴施設・飲食店を立ち上げ現場指揮から得た経験から、施設と地域と人を繋ぐプロデユースを行なっています。