私観!お風呂甲子園が進化した理由①

昨日はお風呂甲子園決勝大会に参加・・・というか観戦して来ました。

3回目を迎える温浴施設が取り組み内容を競いあうというイベントの予選に今回我々3施設も初めて参加をしました。

日頃の取り組みを3回に分けて覆面調査員が評価をして、その合計点が良かった6施設が決勝大会として日比谷公開道のステージに上で、お店で働くスタッフが持ち時間の中で取り組み内容を主張するというか、発表を行うのです。

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残念ながら我々の施設は2施設が予選敗退、1施設が準決勝の審査員に拠る面談戦で敗れ何れも決勝進出にならず、なので観戦にやってまいりました

正直に言います!決勝進出どか面倒だな・・・て思ってました

それ程甘くない事は調査結果を見て重々思い知らされるのですが、参加は決めたものの当初は決勝進出に選ばれたとしても面倒な事だ・・と思っていました。

それは前回観戦をした決勝戦に対して少なからず違和感を感じていたからかもしれません。

できるのか?と言われれば困ってしまいますが、失礼を承知で言わせて頂くと全体的に「青年の主張」のような青臭さや「腑に落ちない芝居」のようなこじつけられたオチを演ずる芝居を見ているようで居心地が悪かったからです。

主張を述べるにしても、演じて伝えるにしても、前回は迷いのあるどちらつかずのシナリオと演出で突っ走ってしまったチームが多かったように感じます

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準決勝迄残った門の湯の発表、お店のメンバーに変わって表彰を受けて来ました

120キロ後半の直球と140キロ代の直球の違い

青年の主張が青臭いのならば、面白いシナリオと演出で勝負したらいいんだ・・・なんて漠然と思っていました!でもそれって多分主旨が変わるんでしょうね、でもエンターテイメントやフィクションを求められている訳でもないしな・・・!

そんな事を思いながら各店の発表を観戦を始めました・・・・

観戦を続ける中でエントリー店舗の半数以上は明らかに前回と違う”熱”をもっており、次第に引き込まれていきます

そういった店舗に共通するのは”面白いシナリオ”とか”面白い演出”といったものではなく、明らかに話をしている人の”自己主張がおもしろい”熱量が高いのです。

120キロ後半の直球は素人バッターが打席に立てばそれなりに早くて打てない、前回の主張はそんな感じでしが、今回登壇して発表をしている人は140キロの直球を投げ込んで来た、そんな感じです。

140キロのストレートはそれだけで人を魅了しバッタは空振りをします、シンカーだとかツーシームとか必要じゃないって事です

「個人のストーリー」と「組織のストーリー」は対等である

では今回と前回で何故登壇をして発表を行っている人の主張の多くが、青臭く感じたり、嘘っぽさを感じる事無く直球として胸に刺さるのかと言えば、個人のストーリーを自分の言葉で表現しているからではないかと思います。

100人居れば100人のストーリーがある、個人からすればウェイトの大小は於いておいて組織のストーリーも個人のストーリーの一部に過ぎない、それが個性だと思います。

組織で行動をする場合はどうしたって組織のストーリーが優先されてしまいます、個人<組織を押し付けるとどうやったてそこに歪みや不自然さが出てしまう。或いは演じてしまい嘘っぽくなる。

組織のストーリーは個人のオムニバスストーリーに拠って形成される個人=組織である事が重要であり、その物語が面白いものであればある程独自化された素敵なものである。

今回は施設で働く人達の日常や個性が型にはめ込まれたり、組織の理論の下に表現を変える事無く発信している人達、群像劇が一つのシナリオになる収まり感を感じる事ができる施設や発表が多かった。

我々温浴業界が今後生き残っていく為にはこの事がとても重要であると思います。

金太郎飴のような商売じゃ成り立たないって事です!!

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「お風呂から日本を元気にする」というお風呂甲子園のスローガンはこう言った意図が含まれていると思います

そしてそれが3回目を迎えた今回は前回よりも理解された・・・

逆かな?そういった組織、チームだから決勝に進出できた・・て事かもしれません

この舞台に立てなかった我々3施設はその事を胸にがんばらないといけないと思います。

応援してね!!

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小野康成 温浴施設コンサルタント 温浴施設の持つポテンシャルを視座を変えて見つめ直すと実に多くのサービスを提供できます。それを必要としている人が地域には溢れています。17年間で複数の温浴施設・飲食店を立ち上げ現場指揮から得た経験から、施設と地域と人を繋ぐプロデユースを行なっています。